神は自動販売機?! | いまのままぢゃダメだ! ・・たぶん。

神は自動販売機?!

「いいこと」が次々起こる心の魔法―この“奇跡の力”が自分のものになる!


いいこと

 私達は神のことを天にある巨大な自動販売機のように考え、祈りを対価にして願いをかなえてくれる存在だと思っている節がある。つまり、祈りというコインを入れてレバーをひねれば、神が何かを与えてくれるだろうと期待するのだ。だから、私達は神という名の自販機を崇拝するのである。私達は神を讃え、自分達がいかに崇敬しているかを示すことで、見返りを求めるのだ。

 こうした発想の前提になっているのは、神が私達の外にあり、私達が求めているものや必要としているものも、また外にあるという考えである。このような祈りは、むしろ神の存在感を薄めてしまう慣習だと言える。神を自販機扱いして祈りを捧げるのは、神が自分と別個の存在だという意識をますます強固にしてしまうのだ。

 私はむしろ、祈りの本質が神との交わりにあると考えたい。こうした見地に立つと、祈りを捧げることは、神が私達の呼吸のように身近な存在だということを認識するための行為となる。つまり、祈りは神との一体感を体験するためにあるのだ。それは、内的な力の存在を実感する行為に他ならないのだ。

 したがって、本当の祈りとは、神に何かを期待するのではなく、自分自身が変わることなのである。私達は、祈りによって神から切り離されているという感覚を和らげることができる。

 幸福が外からやってくると考えるのは、自分が不完全であることを認めていることになる。これは他力本願につながり、自分には見えざる神性が宿っていると信じることをあきらめてしまうことにもなる。



上智大学・渡部昇一教授訳:
「いいこと」が次々起こる心の魔法―この“奇跡の力”が自分のものになる!

「いいこと」が次々起こる心の魔法―この“奇跡の力”が自分のものになる!