企業の「利益」を再認識する | いまのままぢゃダメだ! ・・たぶん。

企業の「利益」を再認識する

P.F. ドラッカー:企業利益の再認識

企業の目的は、実は「利益」ではない、「利益」とは企業が存続するための「コスト」である



 企業による利益追求が、社会を発展させる原動力であることを、理論的に説明したのはヨーゼフ・アロイス・シュムペーターである。シュムベーターは一八八三年(明治十六年)、オーストリアに生まれているが、弱冠二九歳で 『経済発展の理論』を著し、不動の地位を築いた経済学者だ。


 それまでの古典派経済学者をはじめ、マルクスもケインズも、経済が発展する理由と利益を追求する意味を、理論的に説明することはできなかった。

 この点、シュムぺーターは、次のように考えた。


「経済が発展するのは、起業家が革新(イノベーション)を起こして 『生産関数』を変化させ、バランスを破壊するからだ」


 起業家が時代遅れになった製品や事業を「創造的に」破壊し、時代に合った製品や事業につくり変えて、新しく市場を生み出すことが、社会を発展させ、経済を成長させるという独創的な理論を打ち立てたのである。これは、最も革新的だと言われてきたケインズ経済学に欠けている視点だった。


 近代経済学は、「需要と供給が一致した時に取引量が決まる」という均衡理論が前提である。しかし、世の中はみんなが同じ情報を持っているわけではなく、なおかつ、さまざまな判断をさまざまな人間が下している。したがって、売り手と買い手がバランスする状態はありえない。経済は生き物と同じょうに絶えず動いているのであって、売れ残りや品不足の状態が当たり前の姿なのである。


 シュムベーターは従来の理論を否定し、起業家(イノベータ⊥による新製品と新規事業の開発(イノベーション)が経済成長を促すとした。リスクを背負っても新規事業に挑戦する起業家のパワーこそが、社会を発展させると考えたのである。


 シュムペーターは次のように説明した。

「個人が貯金を蓄えていなければ、病気や失業した時に困り、他人に迷惑をかけることに
なる。個人にとって、貯金は、いざという時に備えるために必要なものだ。


 一方、民間企業も一代限りで終わりではなく、長く存続しなければならない社会機関である。民間企業は存続する責任を果たすために、利益を上げて蓄積しなければならない。

企業が倒産したり、破産したりすれば、社会に与える損失は計り知れない。


 利益は企業が存続するために必要なものであって、儲けのことではない。企業は利益を追求することによって利益を手に入れ、従業員に給料を支払い、設備を買い、工場を建てる。再生産のために投資をせず、いつまでも古い設備を使っていれば、時代遅れになって、能率は下がり、コストが上がり、競争力を失って倒産してしまう。

 したがって、企業は存続する責任を果たすために利益を手に入れ、手に入れた利益によって絶えず設備を更新したり、人を雇ったり、新製品を開発していかなければならないのである。


 設備を買うカネも、従業員の給料や退職金として支払うカネも、企業が利益を上げて手に入れた資金に基づくものだ。そしてそれらは、『儲かったから払う、儲からなかったから払わない』と言って許されるものでなく、必ず支払わなければならない待ったなしのカネである。

 であるがゆえに、利益とは 『儲け』 のことではなく、企業が存続する責任を果たすための 『コスト』 のことなのだ。


 企業が利益を追求することは、単にカネを儲けるためではなく、企業の存続にとっても社会にとっても必要なのである」

 シュムペータ一によって、歴史上初めて「利益の追求は反社会的なことではなく、社会的に正しい行為である」と理論的に説明され、「資本主義は人の道に反しないシステムであること」が、ようやく解明されたのである。


 ドラッカーは、「利益と呼ぶものの存在を説明できる唯一の根拠」として、シュムベーターの理論を肯定している。

 いみじくも福沢諭吉は、「私利私欲はやがて公益に変わる」と説いているが、シュムペーターの理論と重ね合わせて聞くと、あらためてその含蓄の深さが実感できるのである。


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