通信と放送の融合:とけてまざってひとつになるもの | いまのままぢゃダメだ! ・・たぶん。

通信と放送の融合:とけてまざってひとつになるもの

<放送ってなんだ?>


TVやラジオなどの放送って、そのむかしプロパガンダに利用されたように
公衆に対して画一的なナニカを受け止めさせる。
そういうことができる性質をもっていますよね。

これって受け手を受動的にさせる性質。
放送されてくる内容に耳を傾け、映像に注視することとなってしまう。
なかなか、そこから発展した考え、イマジネーションを膨らませることができない。
そういう、ひとを受動的な状態においてしまう性質が放送にはあるようです。

でも、ある考えや価値観といったものを
ひろくあまねく、しかも効率的に、即時的に伝えることができる能力がありますから、
全国津々浦々まで、たとえば最近の流行のファッションが行き届いたりする。

それでも、ちょっと時差があるみたいだけど、ね。
というのも、都内では”コギャル”ファッションが下火になった後でも
地方の都市では、まだその”コギャル”ファッションが健在だったりというのも
目にしたことがあります。



<通信ってなんだ?>


それに対し、通信って、能動的。

誰かに用事があるから通信する。電話する。メールする。
自分のしたいこと、やりたいことが先にあって、行動=通信がある。
そんな順番になっていますよね。

<通信と放送の融合ってなんだ?>

日本でも、通信と放送の融合云々といわれていますが
英語ではコンバージェンスとかいわれていますね。
コンバージェンスって、収斂?収束?一本にまとまること?

なんか「融合」ってかんじじゃないですね、「コンバージェンス」。


放送と通信のコンバージェンスって、
そもそも、情報を伝達するための媒体や手段を
一本にまとまることまでしか表現してないンぢゃないかな。

現在、放送は一般に電波なので空気が媒体、
そして、固定電話はメタルとか、ファイバーとか。

それぞれ、媒体も手段もプロトコルも機器も違ってたけど。
そういったものが、1つになるよ、と。
IP使って1つになるよ、ということまでのコンセプトだった。

でも、日本語で「融合」と誰かがやっちゃったから
事業者が1つになるって、発想がでてきた。
ビジネスモデルが1つになるって発想がでてきた。

よい事か、わるい事か分からないけど
発想が「融合」から広がってしまっている。



<そもそもメディアの性質がちがうのに>



でも。
そもそも、性質が違うんだよね。放送と通信。
受動的性質と能動的性質。


放送は、統一した方向性、価値観を公衆にあたえるのが得意。
しかも受け手は”座して待つのみ”。観客でしかない。

通信は、送り手と受け手がそれぞれに主張しあう。
最初に受け手だった方も、送り手にかわることが容易にできる。

そして、通信型メディアの仲間であるインターネットで顕著なのだけれど
自分が受け取りたい情報を取捨選択することができる。
自分が通信をしたい相手を自分で決めることができる。

そのため、自分でも気づかないうちに、好きな場所に長くとどまるようになる。
類は友を呼ぶのことわざ通り、似たような性行が似た人々が集まってくる。
こうして、ネットのあちこちで”村化”現象がおこっている。

すでに、どこにどんな”村”があるのか、把握するなど不可能なほど。


<理想的な”融合”にむけて>



繰り返しになるけど、ネットの世界は、通信の仲間なので”村化”する。
ここに放送的な性質である、”全体をうまくまとめる”性質がうまく”融合”できると、両者の性質が攪拌/補完しあって、理想的なコミュニケーションを含む情報伝達・情報交換のためのメディアになると思えます。